はじめに:総理の伊勢参拝に思うこと
年が明け、ニュースで総理が伊勢神宮を参拝したことが報じられていました。
その光景を見て、私たちの生活には深く神道が根付いていることを認識しまし、また伊勢神宮から普段何気なく口にしている言葉を思い出しました。
「おかげさまで」
成功していることをへりくだって言う時の言葉、と皆さんも思われるでしょう。
この言葉を改めて辞書(コトバンクなど)で引いてみると、こうあります。
「他人から受ける助力や親切。また、神仏の助け」
つまり、自分以外の力への感謝を表す言葉です。 しかし、なぜ「影(かげ)」なのでしょうか?
現代で「影」というと少し暗いイメージがありますが、言葉のルーツを紐解くと、そこには私たち日本人が大切にしてきた「ある哲学」が隠れていました。
今回は、ニュースを見て改めて感じた、この美しい「おかげさま」の日本語の本当の意味について書いてみたいと思います。
古語「かげ」が持つ5つの意味
実は、日本語の歴史において「かげ」という言葉は、非常に多層的な意味を持っていました。 古語辞典などで調べてみると、「かげ」には大きく分けて次のような意味の広がりがあります。
- 光(月影=月の光、など)
- 姿・形(人影、面影)
- 像(鏡や水に映った姿)
- 陰(光が遮られてできる暗い部分)
- 恩恵・庇護(親の陰=親の守り)
「かげ」は本来、光を指す用法も持ちながら、像や陰、さらには庇護の意味へと広がっていったと整理されています。
一見すると、「光」と「陰(影)」という正反対の意味が同居していて不思議に思えます。 しかし、これらは全て繋がっているのです。
「光」があるからこそ、そこに物の「姿」が浮かび上がり、地面に「陰」ができ、その陰に入ることが「恩恵(守り)」になる。 日本人は古くから、光も影もひっくるめて、そこに「何か偉大な力の作用」を感じ取っていたのでしょう。
「木陰」という守り
このうち、5つ目の「恩恵」という意味について、もう少しイメージしてみましょう。
真夏の炎天下、ジリジリと照りつける太陽の下では、人は長く立っていられません。最近の猛暑では特に「影」のありがたみが感じられますよね。 そんな時、大きな「大木」や「山」があると、その裏側には涼しい「日陰」ができます。
昔の人は、神様や仏様、あるいはご先祖様といった偉大な存在を、この「大きな木」に見立てました。 「自分は一人で生きているんじゃない。大きな存在の『陰』に入らせてもらっているから、こうして守られているんだ」
つまり「おかげさまで」とは、「あなた様(や神様)という大きな木陰(恩恵)に守られているので、私は安泰です」という、謙虚な感謝の言葉なのです。
趣味のカメラが教えてくれる「光と影」
また、1つ目の「光」と2つ目の「姿」という意味については、私の趣味であるカメラ(写真)にも通じるところがあります。
写真を撮られる方はご存知かと思いますが、写真はまさに「光と影のコントラスト」が命です。 光が強ければ強いほど、そこに生まれる影は濃く、深くなります。 逆に、光が弱い曇りの日は、影もぼんやりとして、被写体の立体感や存在感(姿)が薄れてしまいます。曇りの日は撮影を諦めることも多いですね。
良い写真を撮るには、光を読むこと、そして「影」をどう活かすかが肝になります。 影があるからこそ、その被写体がそこに実在するという「重み」や「深み」が表現できるのです。
古語で「かげ」が「光」と「姿」の両方を意味していたのは、まさに真理です。
私たち人間に「影がある(おかげがある)」ということは、 「強い光をしっかりと受け止め、この世に実体(姿)を持って、立体的に生きている」 という、何よりの証明なのです。
太陽神・天照大御神の「光」
ここで、冒頭の伊勢神宮の話に戻りましょう。 伊勢神宮に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)とは、そもそもどのような神様なのでしょうか。
彼女は、八百万(やおよろず)の神々の中心に立つ最高神であり、皇室の祖先の神様でもあります。 そして何より重要なのが、その名の通り「天を照らす」、つまり太陽そのものを神格化した存在だということです。
神話(古事記)には、こんな有名なエピソードがあります。 ある時、天照大御神が弟の乱暴に怒って、天岩戸(あまのいわと)という洞窟に引きこもってしまいました。 すると、世界中から光が消え、真っ暗闇(常闇)になり、様々な災いが起きたといいます。
この神話が教えてくれるのは、「太陽(神の光)がなければ、私たちは生きられないし、姿も見えず、影すら落とせない」という真理です。
江戸の「お蔭参り」と現代の私たち
歴史を振り返ると、江戸時代に「お蔭参り(おかげまいり)」と呼ばれる、伊勢神宮への集団参拝が大流行しました。 当時の人々は、道ゆく見ず知らずの人々に食事や宿を助けてもらいながら、「おかげさま、おかげさま」と伊勢を目指したそうです。
費用が十分でなくても沿道の施しに支えられた、という記録も残っています。 bunka.pref.mie.lg.jp
そこには、「お天道様の光」と「人の情け(恩恵)」の両方によって生かされている自分への、深い自覚があったのでしょう。
私も定年を迎え、年齢を重ねることで伊勢神宮への参拝を強く願うようになりました。 今年はぜひ、伊勢神宮へ行って天照大御神(アマテラスオオミカミ)の光への感謝を伝えたいと思います。
終わりに
若い頃は、私も「自分の力で成果を出した」「俺が会社を回している」と、つい自惚れてしまう時期がありました。
しかし、長く生きれば生きるほど、そしてファインダー越しに光と影を見つめる時間が増えるほど、痛感します。 自分の実力なんて、ごく一部に過ぎないのだと。
お客様、取引先、社員、家族、そして運やご縁……。 そうした「外からの光(恩恵)」が当たっているからこそ、私という人間に「影(存在感)」が生まれ、こうして社会の中に立つことができている。
このブログでは、こうした「当たり前すぎて忘れてしまっている日本人の精神(神道)」を、私の視点と解釈で少しずつ紐解いていきたいと思います。
「おかげさま」でブログを書くことができました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
伊勢神宮の解説記事も読んでください。
出典
- 1:首相官邸「高市内閣総理大臣年頭記者会見(令和8年1月5日)」 首相官邸ホームページ
- 2:コトバンク(デジタル大辞泉)「御蔭/御蔭様」 コトバンク
- 3:福田美蘭「平安時代の『かげ』の意味と用法」人間生活文化研究 No.27(2017) journal.otsuma.ac.jp
- 4:神宮(伊勢神宮)公式「皇大神宮(内宮)—天照大御神をお祀り」 isejingu.or.jp+1
- 5:三重県「多くの民衆伊勢へ『おかげまいり』」 bunka.pref.mie.lg.jp
- 6:神社本庁「天の岩戸」 jinjahoncho.or.jp

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